【60代男性】

母はプライドが高く、僕が人と話そうとしても、目配せして「シーッ」と口に人差し指立ててたね

そして僕は大人になるまで、自分を主張することはしなくなったよ

母のせいではないとは思うけど、僕は人と争うこともなく人から悪く言われる
こともなく、つまらない人間になってしまったのじゃないかな

でもお母さん、こんな僕に今、不満はないよ

【70代男性】

小さい頃、僕と姉を置いて母親は家から出ていった。

父親は可愛がってくれていたけど、時々しか帰ってこなかった。物心がついた頃、僕と姉は愛人の子供だったと知った。僕たちは母の親、祖父母に育てられた。「ばっぱ」「じっち」と呼んでいた。

母親を憎むも何も、なんの感情もない。それよりも、優しかったばっぱとじっちの思い出が色濃い。

大人になって、レンタル機器の会社経営をしてバリバリ働いた。姉と二人で入るお墓を建てた。そんな話をいつも聴いてくれるひとがいた。

【50代女性】

優しい母を、酒を飲むと人が変わる父親が、いつも暴力をふるっていた。顔に酒をかけられて大好きな母は泣いていた。それを見て、止めることも守ることも出来ずに、私は布団の中で泣いていた。母は、豪華なお膳を作るために借金ばかりしていた。子供のころは、そんな光景と、借金取りから逃げ回る生活だったのだと、転校ばかりしていた意味を知る。

中学1年で両親はやっと離婚をして、私と弟は親戚の家に預けられた。私は母親に会いたくて、よく嘘をついて出かけた。厳格な叔父は私を突き放した。

母親は住み込み家政婦をしていたけれど、母子で住む3万円のアパートを借りて、3人でそこで暮らした。けれど、どう過ごしていたのか、弟は何をしていたのかはほとんど記憶にない。

私は、この母に楽をさせてあげたくて、中学を出たら働くことばかりを考えていた。

時給700円のロッテリア、喫茶店、本屋、酒屋、とにかく働いた。高校進学は自分の道には最初からなかった。でも、友達は学校帰りによく遊びにきてたまり場になっていた。

bdr