家庭不和も人間関係の苦しみ

家族といると息苦しい。気を使う。

どんなに話してもわかり合えない。

いっその事一人になりたいけど、そうはいかない。

何のために生きてるのかわからなくなる。

そんな事を胸に秘めているひとはいませんか。

大切な人のために一生懸命生になってきた人ほど、ぽっかりと心に穴が空いてしまいますね。

結婚、子育て、親の面倒…と、人生の順序でいうと遅かれ早かれ、そんな事に直面していく人が多いかと思います。

サザエさんのような、和気あいあいの家庭を作るのは容易ではありません。

結婚する時、子供を授かった時、夢がいっぱいで幸せをつかみましたよね。

ところが、家族と言えども自分とは違う一人の人間。皆それぞれ、自分とは価値観も、考え方も、好みも、生き方も違うのです。

良かれと思って言ってきたこと、やってきたことは、相手にとっては単なる押しつけでしかない。何て寂しいやるせない事でしょうね。

●それを乗り越えるには三つの考え方

①とことんやり尽くしたのなら、未練なくきっぱりと決別する

②諦める

2番目の諦めるには、いくつかの意味があります。それについての説明をしていきます。

相手は変わらないんだと諦める。今までの歴史に情があるから悩むんですよね。それなら、その歴史を積み上げていく覚悟をする。相手が死ぬ時の事を想像してみる。今まで自分のためにしてきてくれた事を思い出してみる。この人も未熟だったのによく一緒にここまで生きてきた。と考える。

極端な事だと思うかもしれませんが、そこまで考えないと一緒に生きてはいけません。

男と女では、脳ミソの構造も生態も違う。わかり合えるわけはありません。

親と子では、20年・30年・40年というそれぞれの時代の違いがあり、わかり合えるはずはありません。

年老いた親は、周りに迷惑をかけずに静かにきれいに次の世代へと橋渡しして欲しいと思っても、天命を覆す事は出来きません。いつまでもいつまでも人間の尊厳を考えながら面倒をみなくてはなりません。

人間は、いや動物も生きているものは必ず死が訪れます。

例えて言うなら、哀しみは大切に保管しておきながら、動物園の檻の中にいる動物達のお世話をしてあげる。

やるせない感情を抑え、理論的に接するには、これをしてあげてるしかないのです。介護の専門職の人でさえも、自分の親には感情を抑えられない、と言っておられます。

または、施設に預ける覚悟をする。

親の介護に話は寄りましたが、基本は同じで、諦めることなのです。

肝っ玉母さんのようにいつも笑っていなさい。そうすれば周りも変わっていく。などという事を耳にしたことはありませんか?

私の生まれた昭和40年代の頃は、アパートの前で近所の人達が集まり井戸端会議。小さな子供が「おしっこをしたい」と言ったら、その場でおしっこポーズで抱き上げて外でさせていたような時代でした。

その流れで家に戻り夕飯の支度をする。ゴチャゴチャ考える事などせず、目の前のやる事をただやっていった。「亭主元気で外がいい」などという言葉が流行り出したのもこの頃だったと思います。そうです。ご近所と、隣の人と、お爺ちゃんお婆ちゃんと和気あいあいと過ごせていたから、亭主が遅かろうが笑ってもいられたのではないでしょうか。

今は、各家庭。お隣さんの顔も知らない。一人で家事の全てを担う。誰にも話を聞いてもらえない。帰ってきた夫は家が綺麗になっている事も、子供が幼稚園でもめた事も。冬にはストーブが、夏には扇風機が。何なら妻の髪型がロングヘアからショートカットにしてきた事すら気付かない。つねに飛び交うグループラインを気にしていないと、出遅れる。あっちこっちに神経をすり減らし…

そんな中で笑っていられるはずがありませんよね。

だから、諦めるのです。現実はこうなんだ、と自分に言い聞かせてあげます。

自分の楽しみを見つけるのです。わざわざ考えなくても、やっていて苦にならない事。そういえば小さい時からこれをやっている時が楽しかった。自分の奥底に眠っている何かが目を覚まします。それが自分の楽しみです。

それぐらいやっていてもバチは当たりません。一生懸命生きてきたのですから。

③本当の意味を知る

相手の自分に対する愛の深さを知る。望む事をしくれなくても、つねに言っている言を理解してくれなくても、相手はあなたと一緒に居る。

諦める…のではなく、相手を知るのです。不器用かもしれませんが、気が効かないかもしれませんが、わかってくれないかもしれませんが、今までの年月一緒に生きてきた中で、自分がどれだけ大切にされてきたかを思い出すのです。

思い出し方は、お話をしているうちにちゃんと思い出します。