辛い

母が

あの可愛い優しかったお母さんが、

凄い姿になっていくのをじっと見つめている。

『見殺し』と言わず何と言うのか

何故…、こうなったのかを思い起こしている。

肺炎を繰り返し、物が食べられなくなってきたあの頃。飲み物もトロミをつけてスプーンで一口づつ。それでも最後に救急搬送された先の病院が、面会に厳しい所。一度面会できた時に、色んな管を抜かないように、両手首をベッドに拘束されていた姿を見て、もうGWの連休突入で5日間も会えずに、あの姿のままでいさせるのが耐えられず、連れて帰るために動き出したのだった。

自宅で看取りの態勢を整えるつもりだったのに、訪問主治医から点滴をしないで自然に家族の元で看取ってあげる。ウチに帰れたというだけでも、お母さんへのプレゼントになるはず…とわざわざ電話を頂いたのに、

せめて点滴だけでもお願いします。と言った事が経緯。

という事は、どちらにしても物は食べられず。老衰。自然現象。どうにもならないこと。という事でいいのか…。

途中で方向転換した事が正しかったのか…。

あのまま点滴をしていれば、その先はどうなっているのか…。

自分の母が今から死にゆくのを受け入れられず、私自身が堂々巡りで彷徨う。

母の前で泣いている私

18才の娘に「ママ、おばあちゃんを見殺しにしてるように思えてきて、今日は一日立ち上がれないんだ」と言ったら「病院や施設にお願いして逃げようと思えば逃げられるのに、ママは一生懸命向き合っているんだよ。間違ってるとは思わないよ」と言ってもらえた。強くて勇ましい言葉だった。

私は、間違ってないと言ってもらえる事をかき集めて今生きている。

今日は、睡眠導入薬を飲んでしっかり眠ろう。母と手を繋いで。

5月12日  23:50